人気ブログランキング | 話題のタグを見る

夕桜家ある人はとくかへる(一茶)

夕桜家ある人はとくかへる(一茶)

夕方の桜は夜気の中に薄墨のようにとけ込んでいくように見えます。道の向こうに家々が明かりを灯しはじめました。桜は夜に溶けていきますが、花を愛でた人達は桜を残してそれぞれ我が家へ帰っていくのです。
一茶は人生のほとんどを継母との確執、家の相続権などで費やしたと言えるでしょう。一茶は藤沢周平の「一茶」という小説に詳しく描かれています。作風は弱い物に対する暖かい視線から好々爺のように思われますが、いがいにシビアな人柄だったようです。
そう思ってこの句を詠むと違う感慨に襲われます。いそいそと家路に急ぐ花見客に、「あんたは帰る家があっていいね・・」と言っているように感じます。

この句でふと40年近く前のある情景を思い出しました。数十年前の清瀬全生園の裏山でのことです。
 
40年近く前の事ですが、東京都清瀬市の某結核病院で働いたことがあります。
その病院の隣にはハンセン氏病の療養所である多摩全生園がありました。とても広い敷地でした。
通勤には清瀬駅からバスを利用しているのですが、ときどきこの敷地の端を通り抜けて帰路につくことがありました。正門から研究棟の裏側へぬけますとそのまま外へと出られます。大昔なら出られなかったのかもしれませんが、当時は出入り自由になっていました。菌のでなくなった患者さんは、園の中で育てた花を町で売り歩いたりしていました。ですが清瀬市から外で生活できる人はわずかだったでしょう。いなかったかもしれません。何十年も隔離されてそのまま故郷が無くなった方もいたでしょう。
その研究棟の裏側から外にでますと、そこは武蔵野の原生林でした。灌木が絡み合った林というかジャングルが続いていました。人の踏み跡のような細い道が林のなかに続いています。その道をたどりますと視界がとつぜん広がる所にでます。片側には全生園の裏山の茂み、片側は広々とした草地になだらかに下っていく細い道が続いていました。草地の先は畑が広がりやがて集落にでます。私は畑のあぜ道をゆっくり歩いていき、続いて欅の林を抜けます。この欅はどれも大木でした。枯葉でふわふわになった土を踏みしめながら歩くのはとても気持ちのいいものでした。やがて大きな農家が見えてきます。農家の生け垣の脇を通りすぎますと、ささやかに商店街があります。そこが秋津駅前の商店街なのです。西武線と武蔵野線の秋津駅です。通勤の帰り道としてはちょっと距離があるのですが、散歩にはちょうどよい距離でした。いつくるかわからないバスで帰るよりも、歩いた方が早いと言うこともあります。この帰り道は田園風景が好きな私にはとても楽しい物でした。

多摩全生園は周囲をうっそうとした茂みに覆われていました。外からはきっと只の山にしか見えていなかったでしょう。私が帰り道にした初めは茂みをぬけた先はただの広い空き地でした。休耕地だったのでしょうか。ところがあるとき突然開発され、空き地には碁盤の目のよに縦横に道がひかれていました。碁盤の目に沿って住宅が建ち並んでいきました。電気屋さんやクリーニング屋さんのようなお店もできました。あっというまに小さな町ができあがったのです。夕方になりますと碁盤の目の十字路には街灯が立ち並び明るい光りが町を照らしました。家々の窓には電気が灯され暖かな光りが外にこぼれ出ていました。

その日私は少し遅くなったなと思いながら茂みの道を急いでいました。背の高い雑草が鬱そうとしている藪をこいで、やっと開けたところに出ますと、そこは山の途中なので新しくできた町が一望できました。私の前方には小さいけれど町が広がっています。左手の山の上には世間から隔離され閉ざされた施設がありました。その左手山の中程に人影が体を藪の上に半分ほどだしてたっていました。人影は身じろぎもせず新しい町を見つめているようでした。夕まぐれの中の真っ黒い影がどういう人かはわかりません。表情もわかりません。ただ黒い影がじっと道もない茂みに立ちつくしているのです。その人影をみたあとは家々の灯が凍っているようにみえました。

花の宵 町を見下ろす影の人 by 留女

とく帰る家ははるかにうすれつつ 花の宵こそ思い出さるる by留女


夕桜家ある人はとくかへる(一茶)_a0045131_11251113.jpg

これは4月20日に文京区役所の近くで撮った八重桜です。
by rumerumerume | 2008-05-29 11:25
←menu